「痛い」行為
痛いニュース
地獄のミサワというイラストがインターネット上で有名なのは言わずもがなといったところだと思います。
また、意識高い系という言葉や、ポエマー、ワナビーなど、若い人の間ではこういった言葉が結構使われ、いわゆる「痛い」人として吊るし上げられてしまいます。
痛い人というのは、基本的に嫌われる存在です。その行為が他人に得がなかったり、不愉快と感じるものが多いのです。
なぜするん?
ググると、面白いブログを見つけました。
https://sool.co.jp/media/archives/712
要約すると、
- 客観的に物事を見れる能力が欠けている
- 反省できない人で、一回で終わらずこじらせている
- そもそも気づいていない
といったところです。
自分の行為を評価、相談にのってくれる友達がいない、あるいは経験値が低いのが原因の1つなんでしょうかね。
黒歴史の怖さに負けたくない
とはいえ、私は現在進行形で痛い人だと思います。
例えば、今でもあったりするのが、トンチンカンな質問をしてしまうことです。
一般的に、質問タイムで手を上げる人は小数です。質の良い質問ができないと自信がないからです。
でも、話を聞いてもわからないものは、コミュニケーションを継続しなければわからないです。
だから、質の良い悪い、トンチンカンな質問をする痛い人になる、ということを恐れず、私は素直に聞きます。
それが、自分の人生に得があるからです。
(ただし、話を聞いていない故のトンチンカンな質問は避けます。)
他人に迷惑をかける、というところは非常に申し訳ない、と思うのですが、個人的にこれは日本人が他人を気にし過ぎなんだと思います。というより、人間が生きる中で、他人に迷惑をかけないで生きるというのはほぼ不可能だと思います。
例えば、迷惑をかけるからと言って質問しなかった場合、本人はその部分を理解してないことになります。そして、それを誰かに報告しなくてはいけないといったとき、その部分を理解してないので、テキトーな報告になり、結果的にめちゃくちゃ他人に迷惑をかけるわけです。
むしろ、その場での少しの痛い思いが、誰かの役に立ったりします。(これを俗に勇者、またの名を人柱という)
そもそも、痛い人になりたくないというのは他人に迷惑をかけたくない心理が働くわけでなく、自分がイジメられたくない、臆病さが勝っている状態が多いと思います。
そんなときはどっかの哲学者が言ってましたが、宇宙規模で考えろ、とのことです。
宇宙規模で考えれば、ほんの小さなコミュニティでハブられることの無意味さや、些細な迷惑で人類滅亡への可能性を考えれば、大したことありせん。
冒頭のワナビーだのポエマーだの、こういった行為をするのは勇気があると思います。こうした失敗をした人が、反省して、次のステージに進んでいる可能性のほうが高いです。
(もちろん、勇気あっても反省がなければ、それは無意味ですが。)
逆に、行動を起こさなければ、次に進むための材料すら得ることができません。一生懸命目立たないように自分を都合よくカモフラージュしようとしても、それは自分を殺す、疲れる人生が永遠に待ち受けているだけです。
というわけで、地獄のミサワほどの大ダメージを続けるとこまでではないですが、私は少しの痛みなら耐えて生きています。