想像力

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今日は想像について、思うことです。

思わず、つい馬鹿だと思ってしまう場面

馬鹿と呼ばれてしまう原因は様々ですが、1つに想像をしないということがあります。

例を出しましょう。ザルのかごを棒で立てておき、その下の地面に餌をばらまいて、鳥を捕まえる、といったトラップは何らかの形で見たことあると思います。

見るからに怪しいのですが、そこにある餌にしか目が行かない鳥はそのトラップに引っ掛かり、人間に食べられてしまいます。

こういうとき、捕まった鳥は想像ができない馬鹿な生き物だなぁと、人は思うわけです。

 

人が賢いのは、想像力があるからでしょう

人がここまで繁栄できたのは、道具を使ったことはもちろんですが、頭を使ったというのももちろんのことです。

例えば、戦国時代でいうならば、秀吉のわらじを胸で温める話や、信長が長篠の戦いで、鉄砲隊をうまく使うことで武田の最強の騎馬隊を撃退したことなど、生存競争において賢い人が生き残った例は多々あります。

これらの人々は、想像力が豊富であったのでしょう。わらじを温めるのが無礼なのでなく、尻に敷くことが無礼であるということを想像したり、間髪なく鉄砲を撃つようにするにはどうすればいいか、こういったことを想像したから勝てたのです。

 

優しい人になるには、想像力が不可欠

よく、優しくて頭のいい人と結婚したい、という想いを持った人がいますが、優しい人という時点で高確率で頭がいい人です。(ただし、ここでいう頭の良さは学歴ではありません)

なぜなら、優しさ、つまり人の気持ちを考えるというのもまた、想像力が必要だからです。

相手が喜ぶために、相手の性格に合わせてプレゼントを用意したり、そもそも用意するのでなく一緒に買いに行ったりすることが人によっては良かったり、おっちょこちょいなとこを想像し、補ってくれたりといったようなことです。

逆に、この想像が欠けた優しさは、迷惑、または余計なお世話となることが多いです。

子供が泥団子を渡してくるのは純粋さに感化されるので良いのですが、大人になってもそれを続けられたらとんでもなく困ります。

 

人生相談は想像力ある人にすべき

よく、人生相談は誰かから共感を得たいからするだけだ、という意見を言う人がいますが、私はそうは思いません。

私が相談するときは、自分の推理に漏れがないか、他にいい案があるのだろうか、ということを確認するために聞いてます。

そうなると、当然ですが、聞き手側は想像力が必要となります。前提条件から論理的に考えられたり、経験が豊富で、それをもとにした知見など、そういったことから推測する想像力です。

なので、なんでも話せる相手というのはそれはそれで良いのですが、想像力がなければ、ためにならない確率が高く、話を整理するぐらいの存在程度にしかならないです。

 

想像力を養うには、勉強や実験が必要

どうしたら想像力がつくのかと言えば、例えば将棋が良い例だと思います。まさに将棋は想像力の戦いです。棋士は強くなるために、本を読んで知識を増やしたり実戦経験を増やすことによって経験値を増やしたり、試行錯誤の実験をすることなどをするでしょう。

これらは生きるための想像力も同じように鍛えることができます。ただし、本を読むことは絶対条件ではありません。むしろ、本を読むことしかしないと、自分の頭で考える能力が衰え、前例のないことに対して弱くなること、個性的でなくなります。それよりも実戦経験を積むことや、実験をすることが重要です。

 

想像力がある人たち

最後に、想像力がある人、あるいは必要とする職業の一例を紹介します。

  • 画家

絶対に必要です。影の付き方、人間の骨格、遠近感、まずはこういったことを想像できるようになってからでないと良い絵はかけません。例えイラスト程度であろうと、基礎をやらねば壁にぶち当たります。

 

  • 楽家(クラシック寄り)

基本的に芸術家は想像力が必要不可欠です。ポップスはフィーリングでやれるのかもしれませんので想像力はいりませんが、クラシックは洗練されていないただの直感でやるわけにはいきません。

一つ一つの音の意味を考え、想像できなくてはいけません。

 

凄腕のプログラマーは想像力が豊かです。いわゆるアブダクションという、名探偵コナンのごとくバグの原因を推理できます。ブチャラティでもOK。(この味は嘘をついている味だ!)

 

  • 起業家

前例がないから起業するのです。それには想像力が不可欠でしょう。

 

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想像することをめんどくさがると、人間の価値が下がるので、可能な限り想像をすることをおすすめします。